私の主張綴り19  2010.3.1〜2010.3.31

  • 2010.03.31(水) 晴  心身一如の工夫
  • 2010.03.27(土) 曇  栄町見聞録132号発刊(3月定例会報告)
  • 2010.03.25(木) 曇  印西市が本埜村と印旛村を吸収合併した影響
  • 2010.03.23(火) 曇  3月19日議会最終日に15分のみ車椅子で現われた町長
  • 2010.03.15(月) 晴  町長への手紙を出した
  • 2010.03.07(日) 雨  義父の葬儀の時に3才のひ孫に見えた不思議な光景

    日々の主張ブログ

     

    2010.3.31(水)晴 心身一如の工夫

     今朝ほど通勤電車の中で昨日届いた「池波正太郎の世界16巻」に目を通した。 今日のバージョンは鬼平犯科帳四」だ。継続して購入しているので黙っていても我が家に届く。これは読むというより目で追うという全30巻の雑誌だ。 最近池波正太郎の世界に凝ってしまった。池波氏の読み物は江戸の町が、信州の山並みが、歴史的な有名人が目の前に現われるように感じる読み物だから、 読むのが好きだ。今朝の雑誌の中に「心身一如」という言葉がでてきた。その昔、カールルイスが100mを10秒切って走った時、テレビで解説者が 話していたのを思い出した。カールルイスは75mぐらい走ると、顔が笑うようになる。顔が笑えば、身体 がリラックスする。そうなると自分の持っている力以上の力が出る。というような意味のことを解説者が話していた。つまり苦しいときには笑えという 意味なのだと理解した。今朝の雑誌には、「『心身一如』という言葉が出ていた。体は心の状態を映し、心は体のありようを反映する という意味だ。心の緊張は体の不調をもたらし、体調のよさは元気を生みだす。そうした心と体のつながりを・・・・」とあった。

    池波正太郎は
    「平蔵は曲折に富んだ四十年の人生経験によって、思案から行動をよぶこと
    よりも、先ず、些細な動作をおこし、そのことによってわが精神を操作する
    ことを体得していた。
     絶望や悲嘆に直面したときは、それにふさわしい情緒に落ちこまず、笑い
    たくなくとも、先ず笑ってみるのがよいのだ。
     すると、その笑ったという行為は、ふしぎに人間のこころへ反応してくる。
    「鬼平犯科帳3「兇剣」


      私たちが生きていくということは、自分の価値から見ると実につまらないことに出会うことがある。そのとき自分の価値感の物差しで計ると、 喧嘩になる。鬼平みたいに、その時はニヤリと見えないように笑うことでその危機は回避できる。昨日もある所で嫌なことがあった。その声は後 ろから聞こえたが、そのとき笑い顔が見えないように「ニヤリ」とした。腰の物に手が届いた。鬼平になったつもりで・・・・・・・・ フフフ

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    栄町議会議員:野田泰博  yas-noda2@plum.plala.or.jp

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    2010.3.27(土)曇 栄町見聞録132号発刊(3月定例会報告)

    少し頑張って今回は議会報告・栄町見聞録を予定通り発刊できるようになった。 内容は3月定例会に議会で起きたことが中心となる。今回の特徴は町長が議会に一五分だけ来て、自分の体調のことや、リハビリのことを伝えたこと だ。議会審議には一度も顔をださなかった。あまりにも辛い内容だ。それでも町長を続けようという発言には心が痛んだ。自分の健康も管理できない 人が町民のために働けるわけがない。この一年半の間、直ぐ治るようなそぶりをしながら、悪くなる一方だ。彼を辞めさせてあげるのも、議会の温情 ではないか。しかし人は権力の座につくと、離れたくなくなるらしい。あまりにも痛ましい姿に涙がでてきた。(栄町見聞録 132号を見る)

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    2010.3.25(木)曇 印西市が本埜村と印旛村を合併した影響

    印西市が栄町に隣接する本埜村と印旛村を合併した。吸収合併だ。途中、本埜村長 が合併をしないような発言を繰り返し、合併目前に住民からリコールされ、選挙のはてに前村長が当選し、ようやく合併にこぎつけた。何はともあれ よかった。合併はこれから20年30年後の自治体のあり方を想定して行うもので、現時点から見たら、良いことばかりではない。良いことがないから 合併しないという考えもあるが、日本の国全体から見ると、自治体の単位を大きくして、公務員の数を減らし、人件費をミニマイズさせねば、自治体が 住民のための福祉など看板に掲げることができないのだ。政治の究極の目的は住民福祉なのだから。しかしながら自治体の合併は自分の市町村だけでなく 周辺市町村にも影響を与える。例えば栄町は印西市、白井市などと共に一部組合を作り、ゴミ処理工場を印西市に作って、増え続ける住民のゴミを処理 してきた。経費は等分する分と、人口別や処理数量別に加算され、それなりに30年間つつがなく行ってきた。印西市の合併前には5自治体で等分していた が、今度は3自治体で等分することになれば、必然的に等分の部分は増えることになる。他にも影響はあるが、何か附に落ちない点でもある。

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    2010.3.23(火)曇 3月19日議会最終日に15分のみ車椅子で現われた町長

    緊急質問事項 今年に入り、町長はご自分の病気リハビリのために 庁舎不在日が多く、町民及び議員が、町長に町の現状を直接訴えようとしても出来ない事が度重なってきました。また公式の行事や、他市町村と の会合にも欠席することも増えて、町長不在で、町民と議会および行政の理解に支障が生じているのが現状であると思えます。昨年の12月定例 議会では、現場に立てないご自分のことを「私が一番忸怩たる気持ち」と発言するような事態に陥っていっています。また議会と事前に取り決め ていた日程を、歩行訓練のリハビリのために一週間遅らせて欲しいと、議会運営委員会に要望してきました。議会は当初の予定ですすめていまし たが、議会開催日を町長の要望のとおり一週間遅れの招集を了解したのです。しかしながら、議会開会日から欠席した町長も、最終日にようやく 出席されましたが、出席してもただの挨拶だけで帰宅するとのことです。 かかる事態になっていても、町政運営は滞りなく行っていえる状態で あるとお思いか、また病名は何か、手術は過去2年間に何度行って、現在はどのような治療を行っているのか、今後、回復する見込みは何時なの か。庁舎で執務をとったり、栄町で現場を訪問できるようになる日は何時なのか、お答え願います。以上、緊急質問をしますので、お答え願いた い。

     

    町長の挨拶と返答(平成22年3月19日午前11時5分より10分間)

     この度、議長をはじめとして、町民、議員の皆様に心配と迷惑をおかけし て申し訳ない。数ヶ月前主事医より栄養不良、脱水症状なので、点滴しろと言われたが、私はわがままなので点滴が嫌いなのでしなかった。する と最悪の結果となり、歩くのも10m、20m歩くと休憩せざるを得なくなった。入院させて貰い、療養とリハビリを開始したが、今度は突発性 の腸閉塞になった。腸閉塞を何とかしようとし、一週間絶飲食となり、その後、重湯、三分がゆで現在は五分がゆになっている。肉類は取れず、 油もだめで、魚もヒラメにカレイ、鯛で消化の良いものをとっている。歩けないので、歩行器を使って歩行の訓練中である。町政は支障なくおこ なっている。対外的には皆協力してくれているので、問題はない。早く現場に復帰したい。暖かくなるのを待って欲しい.目途は1から2ヶ月を 自分の目標と定めている。今はとにかくリハビリと療養に励んでいる。今後同じ生活をするという条件で家に帰れると思う。腸閉塞を起こす前は 歩けたが、今は車椅子を使わねばならない。階段は15センチぐらいなら上れる。なにしろ突発性なので、議員の皆様に理解をして欲しい。

    (野田)リハビリの様子を聞いても心が痛む。病名は何ですか。 回復する見込みを1から2ヶ月としているが、どのような状態になることを言うのですか。

    (川崎町長)1から2ヶ月の根拠は自分の希望的目標。対外的な 問題は、この前も話したが、副管理者がバックアップしてくれている。政策は幹部がしっかししていて、私の指示で動いている。問題はない。

    (野田)病名をお聞きしていない。

    ここに「私の感想」を紹介する。

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2010.3.15(月)晴 町長への手紙を出した

 3月15日栄町長に断腸の思いで手紙を出した。 しかも一般住民が町長に直訴 するやり方「町長への手紙」で送付した。内容は3月定例議会の スケジュールが町長の病気のために変更を余儀なくされたため、しかもその変更が町長の決断で行われたのではなく、ドクターが決定した判断 に町長が頼らざる状況となったためだ。このままでは不利益は町民が被ることになると判断したため、この手紙を出した。 町長は栄町にはおらず、病院に入院し、役場には登庁しておらず、携帯電話にも直接電話を入れるなとのことなので、やむを得ず、 町長への手紙となった。議会にも予定された日であっても突然欠席するような状況が続いてきて、また平成21年度には失政が続いてきたために 町長への批判が町民からも、議会からも噴出してきた。大方の議会議員は結局、このような由々しき状況に陥っても、不信任案も辞職勧告も出 さないのは、町長が自分のことについてまずはご自分で決断すべきであるという考えであった。 私は個人的でもまずは忠告を出すべきと考え、個人的にこのような手紙を出 そうと思った。直接話すことも出来ず、メールも拒否し、かといって庁舎でもあえない状況なので、「町長への手紙」は最後の直談判であった。 私は7年ほど前に、川崎町長の出馬を促した一人でもあるが、病気で苦しむ町長を見るに忍びない気持ちだ。今は療養に専念して、健康を取り戻 してから再び町長として活躍していただきたいという気持ちでいっぱいだ。階段も登れないくらいに衰弱して、町長として君臨するのは町民へ の冒涜になりかねない。いくら判断が町長の仕事だとしても、現場に立てない 町長などは長としての責任を果たせないと思う。現場主義を標榜 して、前町長を批判して町長になったのだから、少なくとも自分が現場主義に徹する ことができないならば、潔く辞めるべきだと思う。しかも、 病気の状況、手術の内容、これからの見通しなどを公開するつもりはないとのこと。 病気はプライベートのことなので、議会では病気について は答えない、いつ治るか分からないので、病原菌に聞いてくれ、現場主義を貫けないのは 忸怩たる気持ちなどと議場で発言している町長を見る に忍びない。今までなんとか支えて行きたいと思っていたが、身体のことを自分で判断すること ができなくなり、主治医に委ねてしまった状況 では、町長は辞するべきだ。早く健康を取り戻すことに専念して健康になってもらいたい。 ここに「町長 への手紙」を紹介する。

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2010.3.7(日)雨 義父の葬儀の時に3才のひ孫に見えた不思議な光景

 3月2日妻の父が亡くなった。享年91才。最後まで優しい人だった。 すべての人に静かで、暖かく、優しい気持ちを感じさせる人だった。日立製作所に入社し、日立マンとしてサラリーマンを全うし、90才の卒寿 では約30人の元部下から祝福されるような人だった。サラリーマンとして過ごした社会人としては最高に幸せな元部下からの贈りものだ。 また家庭でも絶対に声を荒げない人だった。また定年後には油絵を描き、数えただけでも200枚ほど素晴らしい絵を描いていた。 いくつか有名な展覧会で入選も果たした。そのような義父の葬儀は世田谷区の環八に面する玉泉院世田谷会館で行った。ここは宿泊施設も完備し、 通夜の日、皆が父のことを話し合って一晩過ごせるのだ。通夜の日の真夜中のこと、私の3才の孫、つまり義父からはひ孫にあたる子がむずかし がって 起きてしまった。その母(私の娘)があやしながら、環八を通る自動車を見せようと窓のそばに行き、車を見せていると、突然 「あそこに大じいちゃん が箱に入って、女の子と一緒にいるよ」と指さすではないか。「おーい、大じいちゃ〜ん」と呼び始めた。 皆、どこにいるのと窓辺に駆け寄ったが、私の孫は 環八の道路の上を指さして、「ほらあそこにいるよ」と言う。皆には何も見えない。 何度も「おーい、おおじいちゃ〜ん」と手を振っていた。不思議な光景だ。 そして、「夜になると見えるんだ」と無邪気に言う。 話はそれだけではなかった。翌4日の告別式も終わり、皆玉泉院をそれぞれの車で帰路につき、その夜、娘に無事の帰着を確認するために、 私が電話をすると、娘は、「玉泉院を出る時に、昨日と同じ場所を(上の方)を指さし、あそこに女の子とおじいちゃんが 箱に入っているよ、 おーい、おおじいちゃ〜ん」と手を振っていたとのこと。きっと先に亡くなった長女が迎えにきていたんだと妻と話し合った。死を迎える と、 先に亡くなった近しい人が迎えに来ると話には聞いていたが、本当にあるんだと確認できた夜だった。合掌

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