野田泰博は普通のサラリーマン

2006.1.24現在
朝6時42分成田線安食駅発上野行に乗車、会社には8時54分着

議会の時は会社を休みます。年間20日の有給休暇と約5〜10日くらいの欠勤を認めてもらっています。2年前より会社が公休扱いにしてくれたので、精神的には楽になりました。

小生の生き方が珍しいのか、議員になった直後からいろいろな新聞に取り上げられました。

野田泰博が分かる新聞・雑誌・本で紹介記事

共同通信配布の記事

1993年3月に各地の地方紙に掲載

サラリーマンは永遠に不滅です

1994年1月元サラリーマン新党党首青木茂氏著作

週間ダイヤモンド

1996年6月25日号に掲載

21世紀勝者の条件・サラリーマン立つ

1999年1月13日朝刊一面に掲載

日経新聞サラリーマンというコラムに7回連載

後日掲載予定

揺れる 第2部共生 1993年(平成5年)2月24日 茨城新聞より(全国地方紙に掲載)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(記事内容下段参照)

 利根川水系を利用した水田と緩やかな丘陵地帯が広がる千葉県栄町。人口二万五千人弱。町役場の議員控室で野田泰博さん(四五)は二枚の名刺を出した二枚は「栄町議会議員」。もう一枚はフェシルインターナショナルA/S日本支社、部長代理」。「サラリーマン生活は長いけど議員はまだ一年生ですよ」フェシル社はノルウェーに本社がある合金鉄メーカー。同社のブラジル工場で精製した金属ケイ素など素材を日本に売り込むのが東京にある支社での仕事。年間二十日間の有給休暇と上司に特別に認めでもらっている「公務のための欠勤」を利用しで議員の仕事をこなしでいる。

 束京生まれの野田さんが栄町にマイホームを責っで移り住んだのは十年前。大学を出て就職した大手化学会杜は横浜の一等地に3Kの社宅をあてがっでくれた。典型的な会社人間。家事や育児を妻に任せきっりで人の親というよりも、社畜だった」。そんな思いが栄町でのマイホーム購入を決意させた。移転後は、通勤に片道二時間かかったが、地元自治会に顔を出すようにもなった。福祉や環境間題を語り合う活動は新鮮だった。自治会役員を務めるうちに周囲から「ぜひ町議に」と推された。野田さんは、ある外資系企業にへッドハンティングされ転職していた。上司に「地元で町議に立候補したい」と伺いを立てだが、「社業に無関係」とあっさり却下。会社側の対応は無理もないと思った。

 そんなところへ競合会社のフェシル社のダンテ・マーチン日本支社長からまたへッドハントの電話を受けた。立候補の意思を伝えたところ「会社にいるときは仕事に専念してくれれぱ良い。個人生活には干渉しないよ」と言われ、驚いた。入社二年目の昨春、任朗満了に伴う町議選に立候捕。「現役サラリーマン」をビラに刷りアピールした。農家や自営業者が多い町議でサラリーマンの出馬は前代未聞。素人集団による手づくり運動で当選を果たした。マーチン氏は、直接民主制を採用する永世中立国スイス出身。「私もスイスにいたころ、サラリーマンと州議会職員を固時に務めた。兵役を含めて公共に寄与することはスイスでは国民の義務。外でもしっかり働く人は会社でも生産性は高いはず。でも、ご心配なく。仕事に穴をあけるとクビですから」サラリーマン同盟の青木茂代表は「自社の利益しか考えない社員ばかりでは、ビジネスは成り立たない時代。日本の経営耆たちは社員の固有の人生を認める大きな度量を持っべきだ」と説く。「ぽーっとする時間が全くなくなった」。二つの職業を持って約一年の野田さんの実感だ。往復四時間の通勤で議会の予算書類を読むなど、時間のやり繰りに苦心する。二十四時間に三百六十五日をかけると八千七百六十時間。これから睡眠や会社での労働時間など必要分を引くと、三千三百六十時間余る」。野田さんの口癖だ。

【メモ】経営者や労組幹一部を除き、会社員が在職のまま選挙に出るのは因難。86年、製薬会社部長が参一院選出馬を表明しで解雇され、雇用契約の存続を求めで東京地裁に訴えた事件があった。判決は「議員職は雇用を継続させることができない事情に当たる」と訴えを却下した。

青木茂氏(元サラリーマン新党党首)著作に紹介(1994年1月ビジネス社より発行)

150頁〜152頁で紹介(定価1500円)

 これまでのサラリーマンもののように、からかったり、教えをたれたり、そういう本ではない。あきまでサラリーマンの内面にふみこんで、サラリーマンへの愛情をベースにして書いた本である。偏愛ではないつもりである。日本の未来はサラリーマンが、自らのスペシャリティーを唯一の武器に、小さな鳥籠で満足せずに、世界にむけて大きくはばたくことの中にしか、明るさを展望しえないと確信しているからである。(あとがき)

UL型を志す一人のサラリーマン

 野田泰博46歳。彼は二枚の名刺をもっている。フェシル・インターナショナルA/S(鉄鋼販売)日本支社部長代理。もう一つは、干葉県印旛郡栄町町議会議員である。

 彼が、はじめて私のところにやってきたのはいまから三年前、平成二年の春だった。開口一番「社畜にだけはなりたくありません、同時に会社に対して存在感のあるサラリーマンをめざしています」こういった。                         「サラリーマンの理想だよ。しかし、なかなかうまくいかないものなんだよ」こう私はおちやらかした。しかし、彼とのつきあいが深まるにつれ彼の行動力にはぴっくりした。会社命令といえば、今週はブラジル、来週はノルウェーなどというスケジュールを軽々こなすし、なにより、英語、ドイツ語を自由にあやつる。行動能力抜群の男。この点、私は彼に好意以上のものをもつようになった。

 その彼が、昨年の春、私のところへ来て、突然こういった。一間一答風にまとめてみると以下のようなことになる

 「郷里の町会議員選挙に立候補します」

 「会社は承知なのかね」「承知です」

 「君のような行動派を会社がよく手放す気になったね」「いや、サラリーマンのままで立候補するんです。会社は認めてくれました」

 「しかし、当選すれば、結局はやめることになるんじやないか」「当選しても、いまの会社につとめ続けます」

 「ダメだよそんなのは。二足のわらじそのものだ。サラリーマンとしても半人前になってしまうし、町会議員の仕事にも支障をきたす。月給泥棒、税金泥棒、いちばんよくないよ」「そんなことはありません。会社の仕事にも100パーセント、エネルギーをつぎこみます。町議会にも100パーセント、私は100を200に生かすという点で、人生のロマンを賭けてみたいんです・…」

 彼は見事に当選した。町議会や住民の評判も悪くはないし、会社の仕事に力をぬくこともないようだ。

 年間20目間の有給体暇と、上司に特別に認めてもらっている「公務のための欠勤」をフル活用して、議員の仕事をこなしている。

 「24時間に365日をかけると、8760時間、これから睡眠や労働時間など必要分を引くと3360時間あまる。これで議員活動をやる。勉強はもっぱら電車の中でする」これが彼の口癖である。彼の上司であるダンテ・マーチン日本支社長(スイス国籍)はこういっている。

 「私もスイスにいたころ、同じようなことをやりました。公共のためにつくすのは、スイスでは国民の義務です。わが社は、会社の外でしっかり働く人は、会社の中でも生産性は高いと思っています。野田君の生き方、けっこうではないですか。でも御心配なく、仕事に穴をあけるとすぐクビにしてしまいますから・…」

 この野田泰博など、サラリーマンでありながらのUL型。珍しい存在といえよう。もし、いつの日か彼のような生き方が、珍らしくはなく、サラリーマンに広く容認されるようになったら大きな変革になる。

 いずれにしても、UL型人間がめざすところは白石正一郎ではなく、藤田伝三郎にある。そして、藤田を見習ってほしいのは、彼の行動力と構想力、判断力である。藤田のもう一つの側面、物欲の徒オンリーは見習わないでほしい。自分なりのロマンに生きてほしい。

 サラリーマン社会の中で、UL型人間が数多く出れば出るほど、脱社畜が進む。日本型経営は大きくかわる。サラリーマンが言葉の正しい意味での自由人になりうる。平成は、こんな時代になってほしいと強く願っている。

(説明)青木氏が取材したが、栄町を故郷としていますが。ここは故郷ではない。ただ住んでいる町。ここでは新住民になる。

 

1996年6月25日発行の週間ダイヤモンドに掲載

中年の履歴書に登場

本文は近日公開

 

 

1999年1月13日、日本経済新聞朝刊一面に掲載

21世紀勝者の条件・第1部変革への苦闘

「立ち上がるサラリーマンたち」の中には1人の地方議員候補と2人の議員が紹介されています。その中の一人が私です。

地方議会を活性化するには普通のサラリーマンが立ち上がらねばならないと思います。

地域のボス支配の政治を放置していると、好き勝手な人が地域ボスになってきます。その人が強大な権力を持つことによって、ボス支配の社会が誕生するのです。

「民度以上の政治家を持たない」と英国の学者が言いましたが、民度が高まれば政治も高まると思います。

 

 

参加が攻治の閉塞破る

 政治の足元に変革の波が打ち寄せている。主役は中高年のサラリーマン。知名度もカネもない彼らが選挙に挑む。

48歳、人生の岐路

 「私のような人間が多数立ち上がれば、少しは政治に風穴が開くのでは」。昨年末、埼玉県内にある政治家養成スクールから一人の卒業生が巣立った。中堅生命保険会社元次長、大村和徳(48)だ。今春の県内の市議会議員選挙に立候補する。二十年間以上勤めた会社に愛着はあった。だが、がむしやら、に働き続けて四十歳を過ぎた時、頭をよぎったのは「このまま人生を会社にささげていいのか」という疑問。不況への不安も交錯し、ふと目にした政治家養成スクールの広告が心に火をつけた。「これだ」。もともと政冶に関心があった。経済危機に有効な手が打でない今の政冶への不満といらだちは大きい。選挙資金は退職金と預貯金だけ、自宅近くの小さな事務所を拠点に夫人と二人三脚の地道な選挙運動が四月まで続く。一定年齢以上なら原則だれでも政治に参加できる時代、その歴史は日本ではまだ新しい。

まずは地方議会

 一 八八0年(明治23年)の第1回衆院選は、立候補にも投票にも直接国税15円以上の納付という特権的な条件がつき、有権者の9割以上、当選者の半数以上が地主だった。現在のような選挙制度が確立するのは終戦直後の一九四五年(昭和20年)。四九年(昭和二四年)の第二四回衆議院選挙は投票率が74%に達し、当選者の三分の一以上の百六十人を「会社員」が占めた。

 だが、皮肉にも選挙が特権でなくなった時から不信と無関心が生まれ、国民が政冶から遠ざかる。投票率は長期低落傾向に転じ、立候補者から会社員が消えた。96年の前回衆院選の投票率は過去最低の59.65%。当選者五00人のうち二九五人が官僚や有力地方議員、議員秘書の出身で、世襲議員は一00人にものばる。政治の閉塞(へいそく)状況の陰には新陳代謝が進まない政治ムラがある。まずは身近な地方議会で声を上げよう。挑戦者の思いは共通している。

 千葉県栄町の町議、野田泰博(51)は今も都内の企業で営業部次長の肩書をもつ。議員とサラリーマンの兼職制度が整備された欧米では珍しくないが、日本では極めて少ない。巨額の費用がかかる町の文化施設の建設計画に反対して出馬、当選した。だが、議員活動を認めていた勤務先の外資系企業が国内事務所を閉鎖したため一時失職。人材バンクなどを回った末に現在の勤務先を探し当てた。「『地方財政は赤字でも、いざとなれば国からカネが入る』などという非常識な世界に、サラリーマンの立場から異を唱えたかった」と、兼業にこだわる。遇末や年20日間の年次休暇を議員活動に充てている。長期不況や金融危機、老後や子どもの将来へ可の不安。サラリーマンを取り巻く環境の激変が、政治へと駆り立てている。これまでは素人政治家の主役は女性や高齢者だった。だが団塊世代が動き出せば、「サラリーマンのため」とうたった過去のミニ政党のような一時的な動きにとどまらなくなる。「団塊世代は、政治の改革意識は強いし数も多い。いったん立ち上がれば政治を動かす大きな力になる」(常磐大教授の岩井奉信)

足元の活動から

 一九九五年一月の阪神大震災の傷跡が残る神戸市。大手百貨店を退職、市議になった浦上忠文(52)が被災者の仮設住宅を回る。崩落した建物、多くの被災者、危機管理のノウハウがなく後手後手に回った政府や自冶体の対応。「政冶は何をしているんだ」と反発して会社を飛び出した時のことは忘れない。「最近『選挙に出たい』というサラーマンから相談を受ける」という浦上は後続の人々にエールを送る。「すべては足元のきめ細かい活動から」。被災者の見舞いのほか一日四〜五時間の街頭演説とビラ配り、それが浦上の週末の日課だ。ドイツ・シュレーダー連立政権の一翼を担う「同盟90・緑の党はへ70年代に旧西独や旧東独の労働者たちが地方議会に進出することから始まった。80年の緑の党結成からまもなく20年。日本の素人政治家たちの挑戦も新世紀には大きなうねりとなり、中央政冶の風景を変える可能性を秘めている。

=敬称略(「21世紀勝者の条件取材班)

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