栄町見聞録第106号 2004年2月29日発行

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3月議会2月25日〜3月5日

箱もの政策今度は布鎌に 合併を無視した予算内容

結婚の話合いを申し込んだ後に、相手に黙って借金をするのは結婚の意思無しと見られる

 三月議会は予算審議が中心となる。来年度にPFI事業という名称の箱もの建設計画が立ち上がる。成田市に合併を呼び掛けながら、独自の箱もの建設計画は合併などしないよという意思表示に受け取られる可能性がある。

 合併を本気で考えるなら、借金を少なくして、健全財政にすべき。布鎌小学校敷地に地域交流センターとして温水プール付きの屋内運動場が必要なのだろうか。このために来年の初頭に債務負担行為(後払いだがやはり借金)の議会承認する計画だ。総事業費を聞いても発表できないという。

(コメント)

 成田市は編入を合併の第一条件にしている。合併協議を申し込むからには編入を視野に入れているはず。編入合併するとしても必要なものは建設はできる。その前に借金してしまおうというのは合併無視の態度になる。

 そういえば元町長の藤江さんは、布鎌の計画と同じ話を竜角寺台の住民にしていた。いつから布鎌になったのだろう。

 

3月議会の日程

2月25日10時〜 予算説明

2月2627日10時〜予算審議

3月3日10時〜 予算議決

3月4日2時〜 一般質問

3月5日2時〜 一般質問

 

野田泰博の一般質問 3月4日3時〜

 

昨年9月栄町議会で可決の「教育基本法の早期改正を求める意見書」の議決破棄を求める請願

請願者 植山芳弘(酒直台)

請願紹介議員 野田泰博

 

3月3日に審議予定

 昨年9月に間違いだらけの理由で意見書が松島、大澤、藤村議員らから出され、ろくな審議もされずに議会決議され国に意見書として提出された。

 松島議員の説明は歴史史実からかけ離れており、日本人として受け入れがたいものであった。

 この意見書が決議された時の議事録を読み。このような恥ずべき理由で、国に意見書を出した事は町民を侮辱することになるとして、酒直台の方が意見書の議決破棄を求めて立ち上がった。

 私はこの意見書反対で懲罰にかけられ、結局裁判で争う事になっている。

またもや成田市へ要望書2通(大野町長、栄町議会)

時期はずれ&しつこい選挙目当ての要望書など出すべきでない。

 四ヶ月前に大野町長は成田市長に、要望書を提出した。返事はなかった。今回もほぼ同じ内容の要望書(下記参照)を出した。栄町議会も大野町長と並行して同じような要望書を出そうというのだ。

 この要望書は山本、松島議員が発案して議員全員で検討したもの。

 私は、この要望書は順序立てて紳士的には書いてはいるが訴える情熱が何もないので出すべきではないと発言。

 今、成田市は一市二町で成田市合併号(周辺の町は編入に合意)はスタートを切った。ゴールまでの時間は13ヶ月。合併をスタートをさせた成田市に出す要望書ならば、編入合意の意思表示でもしなければ、今は忙しいので、と無視されるのが関の山。この要望書は成田側では栄町の選挙民目当ての要望書と見るだろう。恥ずかし要望書だ。

議員発言を紹介

秋山、金島、山田、野田議員(五千人の嘆願書を成田市長に提出した議員)はこの要望書の力のなさに不満発言。

藤村議員 合併賛成、しかし期限 内合併にはこだわらず。

大澤議員 合併賛成、とりあえず 出すべき。

熊谷議員 合併賛成、この要望書 は消極的な文でない。

山本議員 「広報なりた」を見て この要望書を発案。

(野田の考え)

 大野町長、山本、松島議員が書いた要望書は合併しようという情熱が何も感じられない。この要望書はとにかく協議会を開きましょうと言うだけ。そして世の中の変動と成田市に身をゆだねているだけだ。この要望書は後日「合併をしないよ」という逃げ道がいくらでも見出せる。このような要望は一緒に合併しようという相手側を侮辱するものだと思っている。

 成田市長は5千名もの合併嘆願書を大変評価していると何度も公的な場で表明している。ほとんどの栄町議員は4名の行動を非難した。特に藤村、大澤議員は私達をゲリラ的とまで言った。

 選挙が近くなると、今まで静観すると言っていた町長や議員等はこぞって合併賛成と言っている。

(浮島総務部長、選挙管理委員会事務局長兼務)

予算審議委員会でとんでもない発言

 2月26日予算審議の大野町長以下4役との話し合いの席上、松島議員が「先日の投込みチラシにあたかも来年の3月までに合併ができると読み取れる内容があったが、調べたのか」という予算とは全く関係ない質問が飛び出した。浮島部長は、直ぐに返答。「成田市長にあって事の真意を確かめるため出かけた。成田秘書室の公室長に確かめたが、そんなことは話してないとの返事だった」。まるで川崎後援会のチラシが嘘の発言のように議会の席で答えたのだ。

 私も直ぐに成田秘書課に電話して確認。栄町から3名来たが、市長には会っていない。浮島部長は公室長と話したのみ。演説した本人・小林市長に確認もせずに議会で「そんなことは話していない」と確認したと答えた。事実を確認せずに議会で話したのは、議員を誘導しようとしている。選挙管理委員会の責任者が一候補者の政治活動の言動をチェックし、議員全員に公式に報告。これはすでに選挙管理委員会の事務局としての逸脱した行為だ。

2月22日成田市長が栄町を訪問。川崎チラシは演説内容記載、大野チラシは市長無視の内容を掲載大野まこと後援会 市町村合併に関する資料(裏紙面)について

(感想) 大野まこと後援会のチラシは小林市長と同席の写真を載せていた。その文面には成田市が失敗した時の懇談会は千葉県の呼び掛けで始まったと書いてあった。小林成田市長に合併協議を申し入れたならば、成田市の失敗した時のことを文にするのはおかしい。相手にエールを送るぐらいの気持ちが欲しいものだ。以前も大野町長は小林市長と全く反対の見解を新聞に発表していた。成田市に合併したいという気持ちの栄町民にとって、現在の成田市長を逆なでするのは町民が損失を被ると思う。

大野まこと後援会 市町村合併に関する資料(裏紙面)について

 裏紙面に合併は22ヶ月かかると書いていましたが、成田市は今年、法定協議会を設置し、来年の4月に合併しようと頑張っています。成田市は1年でやりとげようと頑張っています。今は各所で合併を行っているので、1年でも可能です。成田市に合併協議を申し込みながら、1年で合併しようという成田市に対して合併は22ヶ月かかるなどというのは、反小林市長と受け止められる以外何ものでもない。

先日同じ日に小林市長来訪のチラシ二枚

 

 同じ日に同じようなチラシが投げ込まれた。比較します。

 2月22日、小林市長が川崎事務所に午後1時に来られて挨拶すると連絡があったので話を聞きに行った。「成田市合併号は一市二町でスタートするが、途中に駅ができれば停車します。川崎さんなら駅を作れる」との挨拶には、成田市との合併を目ざす私には力が湧く挨拶だと感心した。また5千余名の署名を集めた私達4名の名前をあげて、賞賛されたのには嬉しかった。大野町長や大澤、藤村、熊谷議員にはゲリラなどとボロクソに言われた合併署名嘆願書だったが、成田市長の気持ちを動かすだけの力があったのだと改めて知った。

 22日午後、成田市長から川崎事務所の後に、大野事務所に立寄ったことを聞いた。大野町長は昨年の成田市長選の時、小林市長の対抗者を応援していた。それでもきちんと首長としての義務を果たす小林市長の度量の大きさを感じた。首長の立場はこうでなくてはいけない。

 25日の議会初日、篠崎議長に「小林市長が大野事務所を訪ねたそうですね、チラシを見ました」と言うと、「急に来て驚いたよ」と話していた。

 半年前の9月、大野町長以下ほとんどの議員は、静観するという結論を出した。その事を撤回もせずに、今は合併、合併と住民に話している。小林市長も合併をただ選挙戦術のためだけに使うかどうか見抜いている。戦術だけの合併を町民も見抜く事ができるであろう。選挙はしがらみで投票してはいけない。今年の選挙ほど住民の選択眼が町の内外で評価される時はないだろう。

公開質問状への返答なし

 

公開質問状への返答なし

1平成15年9月18日

 栄町長「議場にて私を侮辱する発言をした藤崎助役と町長の指揮監督不在に対する抗議と謝罪を求める件」

 返事無し

 右記の公開質問状には返事は来ていません。従って裁判所と県警に告訴致しました。

2平成16年1月8日

 栄町議会議長、栄町長、栄町議会事務局長

 「栄町議会一部議員10名と議会事務 局長、局員の私的行に関して質問 」

 返事無し

質問に答えます

訴えたのが町ならば町民を訴えたのか

  町行政が不正や間違ったことをして、それを是正しない場合は、行政側を訴えることができます。その時の被告は町長となります。私は栄町議会と町行政が間違った議決(議員への二重懲罰、報酬の減給)をしたことは法律的には間違っているので司法に訴えを起こしました。町長も間違った条例をそのまま執行しました。そして許されないのは議場で議員へ侮辱発言をしたのです。それは完全な名誉毀損となります。町民を訴えたのではありません。

私達夫婦が尊敬する先生の言葉を紹介します。                       (最近出会った良い文です)

困難にくじけることのない不屈の闘いを 森井 眞

 いま権力は意図的に朝鮮を敵に仕立て上げそして精神的に自立できないでいる多くの人を国家に寄りかからせて、公の名において国家権力のために自分を捨てさせようとしています。これはかつてのあの戦争のときと同じことです。

 人間は所詮一人ぼっちです。私たちは孤独をごまかさずしっかりと孤独を見詰め、それに耐えて生きるべきです。しかしまた人間は一人ではない。人間は社会的な動物であり、人とともにあって人間なのです。

 第二次大戦のときに独仏の開戦後十ヵ月もたたないで、四十年六月にパリが陥落しました。ナチの勢いはあたるべからずものがあり、イギリスとソ連が倒れるのは時間の問題だと大抵の人が思

っていた。そんなナチに抵抗しても何の意味もないと思われていた四十一年のその頃から、仮にそうであってもナチの理不尽な支配に私は耐えられない、世界で自分一人であってもなお私は黙っていられない、とあえて起ち上がった抵抗者が、あっちでもこっちでも同様に孤独な抵抗者が戦っていることに気づくのです。

 もし見つかれば何倍もの報復が与えられることを覚悟の上で、ある人はあえて銃を取り、ある人は抵抗の詩を書き、ある人はその詩を命がけで夜中に印刷し、ある人は命がけで持ち運んで配りました。またある女性たちは、一人は青、一人は白、一人は赤のセーターを着て、三色旗の禁じられているパリの街を三人が腕を組んで歩いたのです。めいめいがそれぞれ自分のできることをや

って、抵抗の意志をはっきり表わしました。それが人々をどんなに励まし慰めたかわかりません。そしてレジスタンスの組織ができたのです。孤独な個人と個人との間に揺るぎない連帯が生まれました。

 私たちは、自衛隊のイラク派遣や憲法改悪や民族排外主義に、他人が反対するから反対するのではない。私たち一人ひとりが絶対に許しがたいと自分で思うからこそ自分一人でも反対する。そしてその反対は人種や民族や国籍の違いを越えて人間の尊厳を守ろうとする普遍的な要求ですから、人類との連帯の闘い、全世界の人民との連帯の闘いになるのだと思います。状況がいかに絶望的に変わろうが、形勢がどんなに悪化しようが、そんなことで挫けたり、諦めたりするものではない。そう私は思います。それぞれに自分を確かめ深めながら、連帯の輪を着実に広げてしっかり闘ってまいりましよう。

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